大阪地方裁判所 昭和61年(ワ)7347号 判決 1988年12月21日
原告
山本和子
被告
拾尾和彦
ほか一名
主文
一 被告らは、各自、原告に対し、一一五九万二四七九円及びこれに対する昭和五八年九月二九日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、各自、原告に対し、四三二五万四九二九円及びこれに対する昭和五八年九月二九日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生
(一) 日時 昭和五八年九月二八日午後五時四五分ころ
(二) 場所 奈良県北葛城郡新庄町大字忍海三九九番地の四先路上(国道二四号線、以下、「本件事故現場」という。)
(三) 加害車両 普通乗用自動車(登録番号、奈五六と六三二七号)
右運転者 被告拾尾和彦(以下、「被告和彦」という。)
右所有者 被告拾尾淺司(以下、「被告淺司」という。)
(四) 被害者 原告(昭和一二年二月一九日生)
(五) 態様 被告和彦は、加害車両を運転して前記道路を北から南に向かつて進行中、本件事故現場で転回をしようとして、折から加害車両に後続して北から南へ進行していた訴外山本正治運転の普通乗用自動車(以下、「被害車両」という。)の左前部に加害車両を衝突させ、右衝突の衝撃により、被害車両の助手席に同乗していた原告に傷害を負わせた(以下、「本件事故」という。)。
2 責任原因
(一) 被告和彦の責任
被告和彦は、本件事故現場において、加害車両を、道路左端によせたのち転回をしようとしたのであるが、このような場合、後続の車両の有無を確かめ安全を確認してから転回をするべき注意義務があつたにもかかわらず、これを怠つて漫然と転回をして、本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条に基づき、本件事故により原告が被つた損害を賠償する責任がある。
(二) 被告淺司の責任
被告淺司は、本件事故当時、加害車両を所有してこれを自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条に基づき、本件自己により原告が被つた損害を賠償する責任がある。
3 損害
(一) 原告の受傷内容、治療経過及び後遺障害
原告は、本件事故により頸部捻挫、外傷性頸部症候群等の傷害を受け、事故当日の昭和五八年九月二八日に香芝中央病院で受診したのち、昭和五八年九月二九日から同年一〇月三〇日まで吉條外科に入院(三二日間)し、次いで昭和五八年一〇月三一日から昭和五九年一二月二四日まで吉條外科及び奈良県立医科大学附属病院(以下、「奈良医大病院」という。)に通院(なお、その間昭和五九年六月五日から同月八日まで四日間吉條外科に入院した。)して治療を受けたが、完治するに至らず昭和五九年一二月二四日、奈良医大病院において頸髄不全麻痺、バレー症候群、外傷性神経症及び左上肢拘縮等の後遺障害を残して症状が固定したとの診断をうけた。
しかし、右症状固定の診断後も原告の左上肢には、疼痛があり、また、拘縮のため手指が屈曲して爪が手掌部の皮膚を破り、これが化膿するというおそれがあつて治療継続の必要があるため、原告は昭和五九年一二月二五日から昭和六〇年三月一六日までは吉條外科に、昭和六〇年三月八日以降は吉本病院に通院している。そして、最終的に原告の左上肢は、麻痺、屈曲及び拘縮のために用廃の状態にあり、右後遺障害の程度は、自賠法施行令二条別表の第五級六号(一上肢の用を全廃したもの)に該当するものである。
(二) 損害
(1) 治療費
原告の前記治療のための費用(装具代及び文書料を含む。)として、昭和六〇年九月二八日までに合計四五八万三二三〇円を要した。
(2) 入院雑費
前記三六日間の入院期間中に一日当たり一一〇〇円、合計三万九六〇〇円を下らない雑費を要した。
(3) 通院交通費
原告は、前記通院に際しては、自宅からの交通の便が悪く、かつ、身体的に不安もあつたのでタクシーを利用し、昭和六一年六月末日までその費用として合計二五四万三三九〇円を要した。
(4) 休業損害
原告は、本件事故当時、四六歳の健康な女子で家事に従事していたものであるところ、本件事故による受傷のために事故日である昭和五八年九月二八日から症状固定日である昭和五九年一二月二四日まで休業を余儀なくされたので、その間に少なくとも一年間につき昭和五八年賃金センサス第一巻第一表、産業計、企業規模計、学歴計の四六歳女子労働者の平均年収である二一四万五七〇〇円の割合による合計二六六万三〇一九円の休業損害を被つたものというべきである。
(5) 後遺障害による逸失利益
原告は、前記後遺障害によりその労働能力の七九パーセントを喪失したものというべきであるから、昭和五九年賃金センサス第一巻第一表、産業計、企業規模計、学歴計の四七歳女子労働者の平均年収額二二三万八五〇〇円を基礎収入とし、就労可能期間を症状固定時の年齢である四七歳から六七歳までの二〇年間として、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して症状固定時の現価として算出した二四〇七万八七三八円の得べかりし利益を喪失したものというべきである。
(6) 慰藉料
前記受傷内容、治療経過、後遺障害の程度その他諸般の事情を考慮すると、原告が本件事故によつて受けた精神的、肉体的苦痛に対する慰藉料としては、一一六七万九〇〇〇円が相当である。
(7) 弁護士費用
原告は、本件訴訟の提起及び追行を原告訴訟代理人に委任し、その費用及び報酬として三九〇万円を支払うことを約した。
4 損益相殺
原告は、被告和彦及び訴外東京海上火災保険株式会社より治療費二三〇万一〇〇八円、通院交通費一三一万八三四〇円、休業損害一四六万二七〇〇円、その他の損害の内払金として一一五万円、合計六二三万二〇四八円の支払を受けた。
よつて、原告は、被告ら各自に対し、四三二五万四九二九円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和五八年九月二九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する被告らの認否
1 請求原因1及び2の各事実は認める。
2 同3の(一)の事実中、受傷内容、治療経過は知らない。後遺障害については、自賠法施行令二条別表の第一四級一〇号(局部に神経症状を残すもの)に該当する範囲のみを認め、その余は否認する。
なお、仮に原告にその主張のような後遺障害が残存するとしても、原告の左上肢の後遺障害と本件事故との間には相当因果関係がないというべきである。すなわち、本件事故によつて、原告は、直接には右前額部打撲及び右胸部打撲の障害を受けただけであつて、頸髄神経等に器質的損傷を受けたものではなく、かつ、原告の左上肢の症状は、受傷後約一月半経過してから症状が現れ始めたものであつて、本件事故とは無関係な原告の内面的素質に起因する心因性の二次的症状として発生したものであるから、右受傷内容から通常生ずるものとは認められず、被告らにその予見可能性も存在しないからである。
3 同3の(二)の事実については、(1)の治療費のうちの症状固定日(昭和五九年一二月二四日)以後の分及び(3)の通院交通費のうちのタクシー利用による分の賠償義務を争い、その余はいずれも知らない。
4 同4の事実は認める。
三 抗弁
1 過失相殺
被告和彦は、本件事故現場で転回をするつもので右側の方向指示器を出したうえで右に進路を変更したのであるから、訴外山本正治が前方を注視しておりさえすれば、減速等の措置を講ずることにより本件事故の発生を未然に防止することができたはずであり、したがつて、本件事故の発生については同人にも過失があつたものというべきであるところ、同人は原告の夫であるから、損害額の算定に当たつては、右過失を被害者側の過失として斟酌すべきである。
2 原告の心因的要因の寄与による減額
仮に、本件事故と原告の左上肢の後遺障害との間に相当因果関係が認められるとしても、右後遺障害は原告が事故前から有していた心因的要因及び原告の治療努力の懈怠に起因して生じたものであり、被害者が通常人であれば、本件事故による損害は軽微なものに止どまつていたのであるから、民法七二二条二項を類推適用し、右事情を斟酌して損害賠償額の減額がなされるべきである。
3 損益相殺
被告らは、原告または原告のために直接病院等に対し、治療費として二三〇万六〇〇八円、通院交通費として一三一万八三四〇円、休業損害として一四四万七七〇〇円、雑費として一万円、内払金として一一五万円、合計六二三万二〇四八円を支払つている。
四 抗弁に対する原告の認否
1 抗弁1の事実は否認する。
訴外山本正治は、被害車両を運転し、被告和彦運転の加害車両に追随して時速三〇キロメートルで進行中、本件事故現場で、加害車両が道路左側に寄つたので加害車両の右側を通過しようとしたところ、突然被告和彦が加害車両を右折させたため、衝突したものであり、訴外山本正治が危険を感じてから衝突まで七メートルの距離しかなく、本件事故当時は降雨中であり、雨で湿つているアスフアルト舗装の道路における制動距離は約一四メートルであるから、同人には本件事故の回避可能性はなく、同人に過失はない。
2 同2の事実は否認する。
3 同3の事実は認める。
第三証拠
証拠関係は本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 本件事故の発生及び責任原因
請求原因1及び2の事実は当事者間に争いがない。
二 原告の受傷内容、治療経過及び後遺傷害
本件事故により原告が受傷し、右受傷により少なくとも自賠法施行令二条別表の第一四級一〇号に該当する後遺障害が残存したことは、当事者間に争いがなく、右事実に成立に争いのない甲第二号証、同第五ないし第一〇号証、同第一五号証、乙第三ないし第三四号証、同第四一ないし第四九号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一九号証、原告の左上肢を撮影した写真であることに争いのない検甲第一ないし第七号証、証人岩崎洋明の証言及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。
1 原告は、本件事故により前額部及び胸部を打撲して痙攣発作を起こしたため香芝中央病院で受診し、同病院で治療を受けた結果発作が鎮静したので同日は帰宅したが、翌昭和五八年九月二九日、頭痛、頸部痛及び嘔気を訴えて吉條外科で受診し、同日から昭和五八年一〇月三〇日まで三二日間同外科に入院したのち、同月三一日から昭和六〇年三月一六日まで同外科に通院(実通院日数四二四日、なおその間、昭和五九年六月五日から同月八日まで四日間同外科に入院している。)するとともに、昭和五八年一一月三〇日からおおむね二週間に一回の割合で奈良医大病院の整形外科に通院(なお、昭和五九年一月からは同病院精神科にも通院し、さらに、同年三月一四日には皮膚科も受診している。)して治療を受け、昭和六〇年三月八日から現在に至るまで、当初は一週間に一回、その後は一月に一回の割合で吉本病院に通院している。
2 事故当日に受診した前記香芝中央病院の原告に対する診断名は右前額部、右胸部打撲であり、同病院においては、痙攣発作に対する治療として抗痙攣剤の投与が行われ、発作鎮静後、レントゲン検査、頭部CT検査等が行われているが、特記すべき神経学的所見も認められていない。
3 前記吉條外科には前記のとおりの訴えで経過観察のために入院し、入院時に外傷性頸部症候群と診断されている(のちに外傷性神経症という診断名が付加されている。)が、レントゲン検査では著変は認められていない。右入院中の原告の症状は、昭和五八年一〇月四日に呼吸困難を訴えたのちにシヨツク状態になつて呼吸困難と意識不明の状態が約二時間持続し、その後も何回か呼吸困難を訴えているほかは、頭痛、頸部痛、不眠、倦怠感等が主たる訴えであり、他覚的所見としては四肢に膨張が認められているものの、同年一〇月二四日に実施されたレントゲン検査でも著変は認められていない。なお、左上肢については、同年九月二九日に左上肢倦怠感を、翌三〇日に左手先にしびれを訴えているほかは、特段の訴えはなく、頸部外傷を疑つて脳波検査をしたり、抗痙攣剤を投与するなどの処置はされていない。
4 原告は、吉條外科退院後も同外科に連日のように通院して神経ブロツク注射、投薬、理学療法等の治療を受ける一方、同外科の紹介により前記のように奈良医大病院にも通院するようになつたが、昭和五八年一一月三〇日に同病院整形外科における診察時には、左上肢のだるさ、左後頭部痛、左胸部痛を訴えているが、検査の結果は、握力は右二二に対し、左は五となつているものの、腱反射に左右の差はなく、ジヤクソンテスト、スパーリングテスト、ホフマンテスト、トレムナーテストはいずれも陰性であつて、痙性麻痺に特有な所見は認められていない。
5 その後も原告の頭痛、頸部痛等は続き、左上肢については、昭和五八年一二月中旬ごろから知覚鈍麻が認められるようになり、さらに、昭和五九年一月から二月にかけては麻痺と運動障害が生じ、特に左手指は屈曲したまま拘縮状態となつたが、同年三月中旬ころには手関節及び手指が動きだし、感覚も出てくるなど軽快の徴候が認められた。ところが、同年六月初旬ころ、再び左頸部から左上肢にかけての疼痛が出てきたので、前記のとおり吉條外科に再入院し、治療により疼痛は軽快して四日間の入院で退院したものの、その後も時々左上肢痛が発生し、同年七月中に左上肢は再び拘縮状態となり、その後も前記のとおり吉條外科及び奈良医大病院への通院を続けていたが症状の改善が認められなかつたので、奈良医大病院整形外科岩崎洋明医師は、同年一二月二四日付で原告の傷病名は頸部捻挫兼頸髄不全麻痺兼バレー症候群、外傷性神経症で、頸部・左肩・左上肢の疼痛、左肩・肘・手関節の運動痛と可動制限、左手指の伸展不能、左上肢・左手指の知覚障害などの後遺障害を残しており、その症状固定日は同日である旨の診断をしている。
6 しかし、右症状固定の診断後も、原告の左手指は屈曲拘縮のため伸びた爪が手掌部の皮膚を傷つけたり、汗・垢等による汚染のために手掌部の皮膚が腐敗したりするおそれがあつて(昭和六〇年三月八日の吉本病院初診時には、伸びた爪が手掌部の皮膚を破つて屈節腱にまで達し、浸出液と汗・垢等で悪臭を放つていた。)、月に一回程度は麻酔下で手指を開いて爪を切り、手掌部を洗浄する必要があるので、前記のとおり、吉本病院に通院して右処置を受けるとともに、左手指の疼痛に対する鎮痛剤の投与と左上肢の運動機能訓練を受けている。
7 現在の原告の左上肢の症状は、肩・肘・手関節の可動制限と運動痛、左手指の伸展不能があつて(肩関節は下垂位のままで自動可能域はなく、他動では外転九〇度、前方挙上七〇度まで可動であるが、激しい疼痛を伴う。肘関節は直角位から自動可能域はなく、他動では屈曲一〇〇度、伸展マイナス一五度で八五度まで可動であるが著明な疼痛を伴う。手関節は背屈位から自動可能域はなく、他動では掌屈マイナス一〇度、背屈三〇度で約二〇度の可動域がある。指関節については、拇指及び小指が内転位拘縮で、第二ないし第四指は各関節とも屈曲拘縮となつており、第三、第四指の遠位指関節は脱臼して背屈位拘縮となつている。そして、各関節ともレントゲン検査で骨の萎縮像が認められ、特に手指の関節については骨破壊像及び脱臼が認められる。)、手指については、前記のように爪で手掌部の皮膚を傷つけるのを防止するため伸展装具を装着する必要があり、また、時に激しい疼痛が生ずる。
8 前記岩崎洋明医師の診断による傷病名中の頸髄不全麻痺は、原告の麻痺症状及び拘縮の程度が強いことから頸髄に由来するものもあるのではないかという同医師の推測により付された傷病名であるが、頸髄が損傷された場合は、症状は早期に出現し、皮膚の神経支配と一致した範囲に知覚障害が生じ、腱反射の亢進等の神経学的所見も認められるはずであるのに、原告の場合は、前記のとおり、左上肢に顕著な症状が現れたのは本件事故後二か月も経過してからであり、左上肢に症状が現れたのちも腱反射に左右の差がなく、また、知覚障害は皮膚の神経支配に合致せずに肩以下、大腿以下に一様にみられるいわゆる切断型を呈しており、その他にも頸の運動制限が強いのにレントゲン像では頸椎の生理的前彎の消失がなく、発汗テストで左右の差がないなどの神経学的には頸髄損傷とは考え難い所見が認められている。
9 他方、原告の左上肢の症状は、前記のとおり、屈曲拘縮の状態になつていた手指が動き出して一時快方に向かつていたのに再度悪化しているが、右悪化の時期は、奈良医大病院に医師として勤務していた被告和彦が他へ転出し同人との接触ができなくなつた時期と一致しており、また、原告は、過去に七回も腹部の手術を受けているが、これはポリサージヤリーと呼ばれる心因性疼痛のためであると考えられ、原告が神経症になりやすい素因を有していることをうかがわせるものであり、CMIテスト(心理テスト)の結果も原告が神経症のグループに属していることを示している。
以上のような事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
右認定の各事実に証人岩崎洋明の証言及び後記認定の本件事故態様並びに本件事故以外に原告の左上肢の症状の原因となるような出来事があつたことをうかがわせる事情は見当たらないことを合わせて考えると、原告は、本件事故によつて頸髄に損傷を受けたものとは認め難いが、その神経症(心因症)素因に本件事故による受傷のための疼痛や入通院による苦痛及び加害者である被告和彦に対する不満(但し、被告和彦が加害者として特に不誠実であつたことをうかがわせるような証拠はなく、かえつて、後記認定のとおり多額の通院のためのタクシー代を異議なく支払つていることからも相応の誠意は尽くしていたことがうかがえる。)等の精神的トラブルが反応因子として作用した結果、外傷性神経症に罹患し、この外傷性神経症の症状として前記7で認定したとおりの左上肢の後遺障害が生じ、右症状は既に固定しているものと認められる。
そして、交通事故の被害者が事故による外傷を契機に外傷性神経症に罹患することがまれではないことは当裁判所に顕著な事実であるところ、前掲乙第四九号証によれば、右被害者が神経症(心因症)になりやすい素因を有している場合は不可解ともいえるようなヒステリー反応を示すこともまれではないことが認められ、これらの事実に鑑みると、原告の右症状は、本件事故による受傷及びその治療過程で原告の神経症(心因症)素因等の原告側の事情が競合して発症したものと認めるのが相当であり、したがつて、本件事故と前認定の原告の後遺障害(頸部痛、左肩痛、左上肢痛、左肩・肘・手関節の運動痛及び可動制限、左手指の伸展不能、左上肢・左手指の知覚障害)との間には相当因果関係があるものというべきである。
三 損害額
1 治療費等
前掲甲第五、第一九号証、乙第一九ないし三四号証、成立に争いのない甲第一三号証の一ないし二〇、乙第五一、第五二、第五四、第五五号証及び原告本人尋問の結果によると、前認定の原告の治療のための費用、伸展装具の費用及び治療に伴う文書料として昭和六〇年九月二八日までに合計四五八万三二三〇円を要したことが認められ、前記二で認定した事実によれば、症状固定後の通院についてもその必要性が認められるので、右金額はすべて本件事故と相当因果関係に立つ損害と認めるのが相当である。
2 入院雑費
前認定の原告の受傷内容、治療経過によれば、原告は前認定の三六日間の入院期間中に一日当たり一一〇〇円、合計三万九六〇〇円の雑費を要したものと推認することができる。
3 通院交通費
前認定の原告の受傷内容、治療経過、後遺障害の内容に成立に争いのない乙第五六号証、同第七四ないし第八八号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一四号証の一ないし二六、同第一七号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告は前認定の吉條外科及び吉本病院への通院の際、自宅からJR御所駅まで徒歩二五分もかかり、かつ、便数も少なくて不便なことや突然、発声不能になつたり、左手に疼痛が発生したりするためタクシーを利用し、昭和六三年三月二一日までに右タクシー代として合計二五四万三三九〇円を要したこと、及び被告和彦は昭和六〇年一月末ころまでに右タクシー代中の一三一万八三四〇円を原告が利用したタクシー会社に直接支払い、原告のタクシー使用については、特段の異議を述べていないことが認められ、この認定に反する証拠は存在しない。右認定事実によれば、右通院のためのタクシー代も本件事故と相当因果関係に立つ損害と認めるのが相当である。
4 休業損害
前認定の原告の受傷内容及び治療経過に原告本人尋問の結果を総合すれば、原告は、本件事故当時、四六歳の健康な女子で、家事に従事していたほか、時には内職等もしていたところ、本件事故による受傷のために少なくとも昭和五九年一二月二四日まで休業を余儀なくされたものと認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
右事実によれば、原告は、右休業期間中、一年につき昭和五八年賃金センサス第一巻第一表、産業計、企業規模計、学歴計の四六歳の女子労働者の平均年収額二一四万五七〇〇円の割合による二六六万三〇一九円の休業損害を被つたものと認めるのが相当である。
(算式)
2,145,700÷365×453=2,663,019
5 後遺障害による逸失利益
前認定の原告の後遺障害の内容及び程度、すなわち頸部痛、左肩痛、左上肢痛などの神経症状があるほか、肩・肘・手の各関節に運動制限及び運動痛、手指に伸展不能の拘縮があり、各関節にレントゲン検査上骨萎縮像が認められ、手指の関節については骨破壊像及び脱臼も認められるというもので、単なる神経症状ではなく、既に器質的障害にまで進んだものであるが、前認定のとおり、肩・肘・手の各関節は運動痛を伴うものの他動では若干の可動域があり、手指も麻酔下では他動的にはある程度開くことも可能であるという点に鑑みると、将来若干の改善可能性もなくはないと考えられるうえ、右障害は原告の利き腕ではない左上肢に生じたものであること、その他の神経症状である頸部痛、左肩痛、左上肢痛等については年月の経過とともに消失する可能性が大であると考えられることなどの点を考慮すると、原告は、その就労可能期間を通じ、平均して労働能力の五〇パーセントを喪失したものと認めるのが相当である。
そして、原告が本件事故当時四六歳の健康な女子であり、本件事故前は主婦として家事労働等に従事していたことは前認定のとおりであるから、症状固定時である昭和五九年一二月二四日以降六七歳まで二〇年間就労可能であつたものと推認される。
以上の事実によれば、原告は、本件事故による後遺障害のために昭和五九年賃金センサス第一巻第一表、産業計、企業規模計、学歴計の四七歳女子労働者の平均年収額二二三万八五〇〇円を基礎収入とし、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算出した本件事故当時の現価である一四七一万九八一六円の得べかりし利益の喪失による損害を被つたものと認めるのが相当である。
(算式)
2,238,500×0.5×(14.1038-0.9523)=14,719,816
6 慰藉料
前認定の原告の受傷内容、治療経過、後遺障害の内容及び程度、その他本件証拠上認められる諸般の事情を考慮すれば、本件事故によつて原告が受けた精神的、肉体的苦痛に対する慰藉料としては九一〇万円が相当であると認める。
四 過失相殺
成立に争いのない甲第六ないし第一〇号証、同第二〇号証によれば、以下の事実が認められる。
1 本件事故現場は、左右の路側帯各一・二メートル、南行肩側一車線三・三メートル、北行片側一車線三・四メートルのアスフアルト舗装道路で、本件事故当時は降雨中で路面はぬれていた。
2 被告和彦は、時速約三〇キロメートルの速度で加害車両を運転し、右道路を北から南へ向かつて進行しており、被害車両はその後方約二二メートルの地点を同じく時速約三〇キロメートルの速度で追随していた。
3 被告和彦は、喫茶店に入るために転回をしようと思い、減速しながら道路の左側に加害車両を寄せて右側方向指示器を出したものの、その直後(警察の実況見分時に被告和彦が指示したところによれば、右側方向指示器を出したのち約二・四メートル進行した地点で右にハンドルを切つている。)に時速約一五キロメートルの速度で右折を開始し、約四・五メートル進行した地点で被害車両との衝突の危険を感じて急制動の措置を取つたが、間に合わず、加害車両の右前フエンダー部分を被害車両の左前角に衝突させ、その場に停止した。
4 訴外山本正治は、加害車両が道路左側に寄つたため、停止するものと思い、同車の右側方を通過しようとしたところ、約四・二メートル左前方の加害車両が右側方向指示器を出すのとほとんど同時に右に進路を変えたため、直ちに急制動の措置を取り、かつハンドルを右に切つたが間に合わず、約七メートル進行した地点で加害車両と衝突して約一メートル進行して停止した。
以上のような事実が認められ、右認定に反する証拠は存在しない。
右事実によれば、加害車両が減速しながら道路左側に寄るのを見て停止するものと考えて、その右側方を通過しようとした訴外山本正治の所為に非難すべき点はなく、被告和彦が右側方向指示器を出した時点では同人に衝突の回避可能性はなかつたものと認められる。また、同人には被告和彦が方向指示器を出すのとほとんど同時に右方向に進路を変えて転回しようとすることまで予見すべき義務はなく、危険を感じてから採つた措置にも不適切な点はないから、同人に過失はなく、被告らの過失相殺の抗弁は援用できない。
五 寄与度減額
前認定のとおり、原告の左上肢の後遺障害の発現、増悪、固定化は原告の素因、性格に起因するところが大であるというべきところ、前認定のとおり原告は頸髄に損傷を受けておらず、右前額部打撲、右胸部打撲及び頸椎捻挫等の傷害を受けたのにすぎないのであるから、通常人であればせいぜい神経症状等の比較的軽い障害にとどまり、本件のような多大な損害は発生しなかつたであろうと考えられ、また、前掲乙第四三ない四六号証によれば、原告が後遺障害の原因に心因性の要素のあることを認めようとせず、精神科での治療に積極的でなかつたことも、前記左上肢の障害が重くなつた原因の一つになつていることが認められ、本件事故を除く右のような事情は、主として被害者側の事情に属するものというべきであるから、これに基づく損害の増大を加害者側に負担させることは、損害の公平な分担という損害賠償法の基本理念からみて相当でない。そこで、民法七二二条所定の過失相殺の法理を類推適用し、被害者側の右のような事情を斟酌して被告らが賠償すべき損害額を減額するのが相当であるところ、前認定の事情を総合斟酌すれば、前認定の損害の五〇パーセントを減額し、その残額についてのみ被告らに賠償責任を認めるのが相当である。
六 損益相殺
抗弁3の事実は当事者間に争いがなく、これによれば、原告は合計六二三万二〇四八円の損害の填補を受けたことになる。
七 弁護士費用
弁論の全趣旨によれば、原告は原告訴訟代理人に本件訴訟の提起及び追行を委任し、相当額の費用及び報酬を支払い、又は支払いの約束をしているものと認められるところ、本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、本件事故と相当因果関係に立つ損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は一〇〇万円と認めるのが相当である。
八 結論
以上の次第で、原告の本訴請求は、被告らそれぞれに対し、一一五九万二四七九円及びこれに対する不法行為の日ののちである昭和五八年九月二九日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから、これを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 笠井昇 阿部静枝 眞部直子)